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エドウィン・マルハウス / スティーヴン・ミルハウザー

エドウィン・マルハウス―あるアメリカ作家の生と死
スティーヴン ミルハウザー Steven Millhauser 岸本 佐知子 / 白水社

十歳にして不朽の名作『まんが』を物し、十一歳で夭逝した天才作家の生涯を、彼と同い年の少年が書き記した伝記、という風変わりな構えの小説である。

伝記の著者ジェフリーは、生後六ヶ月のときに、隣家に生まれたこの物語の主人公エドウィンに出会う。以来、ジェフリーはエドウィンの行動をつぶさに観察し、並外れた記憶力をもってそれを精緻に再現してゆく。幼児期の言葉遊びに見られる天才の萌芽、絵本や玩具への強い執着、小学校生活のあれこれ、様々な友人たちとの出会いと彼らから受けた影響、身を焦がすような初めての恋、そして、壮絶な創作活動と、自らをそうした世界に封じ込めようとするかのような凄絶な死。ジェフリーは大人顔負けの洞察力と表現力とによって、時に慈愛に満ちた眼差しをもって、時に辛辣な批評を交えながら、それらを冷徹に綴ってゆく。

しかし、読み進めるにつれ、ジェフリーが描いているのは、エドウィンの生涯と見せて、実はジェフリー自身の世界なのではないか、エドウィンはそれを描くための依り代でしかなかったのではないか、という疑問が湧いてくる。エドウィンは天才などではなく、実は凡庸な少年であって、真の天才はむしろジェフリーなのではないか、とさえ思えてくる。

とは言え、我々がジェフリーに天才を感じるのも、彼のずば抜けた記憶力と洞察力、そして表現力に対してであり、それらはもちろんこの物語の中で彼に与えられた道具立てである。ミルハウザーはそうすることによって、誰もがかつて経験していながら、いつの間にか忘れてしまった世界を、リアルに色鮮やかに再現しているのである。

子供を描いた作品には、大抵どこかに大人の視線が見え隠れするものである。だがミルハウザーは、この作品において、少年を語り手とし、彼に優れた伝記作家の洞察力と表現力を与えることで、それをきれいに排除している。目に映るもののすべてを描かずにはおかないミルハウザーの精細な筆致を辿り、ジェフリーの言葉を追ううちに、読者は自分が大人であることを忘れ、いつしか彼らと同じ場所に立ち、彼らと同じ目線で、彼らの世界を体験していることだろう。

あらゆるものに興味を抱き、未知の世界に驚き、敏感にそれらの影響を受け、時に取り憑かれたように何かに熱中する。不安や恐怖や葛藤はその一つひとつが世界を揺るがす大事件であり、現実と妄想との境界はしばしば曖昧である。そこでは、子供たち一人ひとりが天才のきらめきを放ち、一方で、残酷な感情や辛辣な視線もまた確実に存在する。彼らにとっての世界は、新鮮な驚きと輝き、そして深遠な闇に満ちている。

それぞれの読者に、きっと多くの部分で、忘れてしまった自分自身の記憶と共鳴するものがあるだろう。ここには、大人が幼い頃を振り返ったときに感傷を伴って蘇ってくる「子供の世界」ではなく、今まさに子供たちの目の前に広がっている「世界」そのものが鮮やかに描かれている。
by books_pliocene | 2005-10-11 21:03 | 文芸 (海外)


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